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2025/09/30 10:00

◆ 少年の不安と静かな午後 ◆

端午の節句が近づくころ。 咲結の軒先にも、小さな鯉のぼりが風にそよぎ、静かな祝の気配が満ちていた。

その午後、工房の戸をそっと開けたのは、まだ小学三年生くらいの男の子と、その母親だった。

「こんにちは……こちら、水引のお店でしょうか?」

母の声に続いて、小さな影が顔をのぞかせた。

「実はこの子、今度の日曜に剣道の大会があるんです」 母親は少し困ったように笑って言った。

「頑張ってきたのに、最近“もう出たくない”って言うようになって……。 きっと怖いんですよね。でも、本人もその気持ちをどうしていいかわからないみたいで」

少年の名は蒼太(そうた)。 数日後に控えた剣道の大会を前に、自信をすっかりなくしていたのだという。


◆ 「負けたくない」の奥にあるもの ◆

「頑張れって言われるのが、つらいんです」

ぽつりと漏らした蒼太の声は、かすかに震えていた。

「本当は……僕だって頑張りたいんです。でも、負けたらどうしようって思うと、怖くて、息が苦しくなって……」

小さな手は、制服の裾をぎゅっと握っていた。

紡はそっと膝をついて目線を合わせ、静かに微笑んだ。

「蒼太くん、怖いって思うことはね、悪いことじゃないよ。 むしろ、それだけ真剣に向き合っている証なんだよ」

「……怖くないふりしないと、かっこ悪いって思われる気がして」

「かっこよさってね、本当は見た目じゃなくて、“心”の形だと思う。 怖さを抱えても、それでも立ち向かおうとしている今の蒼太くんは、 誰よりも、かっこいいよ」

蒼太は、はっとしたように紡を見上げた。 その目に、少しずつ光が戻っていくのが見えた。

紡は、そっと水引を取り出した。 それは“兜の結び”。

結びは、左右に二つの“あわじ結び”を置き、その間に力強く交差する芯を通すように組み上げられていた。 この形は、左右に張り出す“あわじ”が翼のように広がり、中央の交差が心の軸を象徴している。

あわじ結びはもともと、ほどけにくく、強いご縁や決意を意味する結び。

それを両側に配置することで、
“迷いを抱えながらも自分の中心を見失わない心”を
表現しているのだった。

「この結びのかたちは、相手と向き合うときだけでなく、自分の心とも向き合う決意を表してるの。 矢がまっすぐに放たれるように、心もまっすぐに整える——そんな意味を込めているのよ」

「これはね、“勇気”を結ぶ水引。武士が戦に向かうとき、心を整えるためにつけていた兜飾りの結びに由来してるの」


◆ 揺るぎない意志を貫く ◆

紡は、小さな桐箱の蓋を開けて見せた。
中に収められていたのは、金と黒の水引で仕立てた“兜の結び”の小さなブローチ。

「この結びはね、もともと武士が兜に添えていた装飾の結びがもとになっているの。 それは、“自分自身の心を整えて戦う”という、内なる決意の印だったのよ」

ブローチの中央には、揺るぎない意志を象徴する黒。
その周囲を、未来を照らす金がやさしく包むように配されていた。

「この結びを身につけることで、自分の弱さや怖さを抱えたままでも、 それでも“立ち向かう勇気”を結べるように——そんな願いを込めて、咲結で仕立てています」

母が静かにうなずき、蒼太もゆっくりとその小さなブローチに目を向けた。

「僕、勝てるかわからない。でも、逃げたくない」

そのつぶやきに、紡はやわらかく笑った。


◆ 背中に宿る小さな決意 ◆

数日後。
大会に向かう朝、蒼太は静かに起き上がり、制服から袴に着替えていった。 母が用意してくれた朝ごはんも、黙って口に運ぶ。
でも、その表情はどこか落ち着いていた。

額装の前に立つと、そっと両手を合わせて深く一礼する。

「兜の結び、ちゃんと見ててよ」

声は小さい。でもその響きには、昨日までの迷いはなかった。
あのとき紡にかけられた言葉が、心のどこかで優しく結ばれ続けていたのだ。

試合が近づくにつれて、蒼太の胸の中には再び不安が湧き上がっていた。
でも、ポケットに忍ばせた小さなブローチに指を添えると、不思議と心が整っていく気がした。

「怖くてもいい。逃げないって、決めたんだ」

剣道場に響いた拍子木の音。
木の床を踏みしめる足音。
蒼太の一歩は、確かに“向き合う勇気”で結ばれていた。

その様子を、咲結の工房で想いながら、紡は窓の外に泳ぐ鯉のぼりを見上げた。

「蒼太くん、大丈夫。あの子の結びは、ちゃんと芯が通っていたから」

胸の奥で、そっとつぶやいたその言葉には、紡自身の決意もまた結ばれていた。


◆ 結びの言の葉 ◆

紡は、試合から戻った母子と共に額装を見つめながら、そっと口ずさむように短歌を添えた。

「ふるえる手 なおも結ばん 心の緒
ひとひらの風 兜にそよぐ」

その短歌に込めた想いを、紡は静かに胸の中でなぞっていた。

「ふるえる手」は、誰しもが持つ不安や迷いの象徴。 それでもなお、心の緒──つまり、自分の意志や願いを結ぼうとするその姿に、 紡は“本当の強さ”を感じていた。

「ひとひらの風」は、ほんのわずかなきっかけ。
けれどその一吹きが、心の奥に眠る勇気をそっと目覚めさせるのだ。

そしてそれは、蒼太自身が見せてくれた姿でもあった。
だからこそこの結びが、彼にとっての“芯”として残り続けてくれますように── そんな祈りを、紡は静かに、そして深く結びなおしていた。


結びし想い、風のまにまに。さて、つぎなるご縁はどなたでございましょうか……。


つぎなる結び|第四の筋『ほどくことで見えるもの』

五月の雨ににじむ午後。咲結を訪れたのは、一輪のカーネーションを手にした若い女性。

差し出したその花は、母の日の贈り物には似つかぬ、どこか複雑な想いをまとっていて——

紡が結びなおすのは、ただの水引ではない。

ずっと結べなかった「ありがとう」の気持ち。 けれど、ほどいた先にこそ、はじまりはある。

その想いが、やがてやさしい色となって実を結ぶ──。


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